作る、の行為は皆同じ

作る、の行為はみんな同じここ数週間、こちらのデザインに取り組んでいました。

今年の年末、12月30日にライブをやります。
その告知のためのものです。
(ライブのことはまたゆっくり書きます!)

「あー!こういうことやりたい!」

と衝動がやって来て、
人を誘い、話し合い、
「やりたい!」
の中身を少しずつクリアにしています。
そして、思想を音に落とし込み、
「音」という形にしている最中です。

フライヤーのデザインを何種か、
ああでもないこうでもないと煎じ詰め、
「こういうことやりたい!」「やります!」
の思想を平面に落とし込みました。

こんな感じかな…
これは本道から逃げすぎなのでは…
「事後」の状態よりも「事前」を提示すべきかな…
画材は…
色は…
フォントは…

作曲するときに行われる過程と全く同じように、
【本質が一番表出される手段】を選んでいく……

そういえば昨年出演した、
『ロッキー・ホラー・ショー』のパンフレット用に写真を撮っていただいた時も、
「同じだ」と感じたのを思い出しました。
そのとき、
ディレクションしてくださる方の要望の中枢をよく感じ取ると、私には、

「あー、ピアノを弾くかのような精神で、撮られればいいんだな」

と思われました。
その、ピアノを弾くかのような精神とは、
全身全霊研ぎ澄まし、
神(とでも、自分とでも、宇宙とでも、なんと言っても良いですが)
……からの提案を聞こうとし、
聞こえたら受け入れ、
私の体を使ってこの世に表出させる、という精神です。

身体の使い方が少し違うけれど、
結局は作曲もフライヤーのデザインも、
写真を撮られること、ピアノを弾くことと、
「同じ」、

料理、裁縫、などは「作ること」として分かりやすく「同じ」ですし、
片付け、掃除なども、
良き空間を「作る」という為に必要なな精神、過程は、
「同じ」だと思われます。

私は私の音楽を研ぎ澄ませることに時間を費やし、
慣れ親しんできました。

そこで得たあらゆる手段は、
他の表現方法(=作る)、
そして生活そのもの(=作る)にも応用できるのだ!と思い、
実践を始めています。

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