ピアノが美しく響く楽譜


上條奈美子さん主催ダンス公演のリハーサル中、
「ここで『愛の挨拶』弾きたいな」と思うシーンがありました。
本番まで日が無かったので、無精をして楽譜屋に行くのではなくネット上で楽譜を検索、
データで買えるお店で入手、プリントして弾いてみる。

これ…… ぜっ……たいに、ウソ!!!!!

と思いました。
その楽譜、メロディは、伴奏の形は、それらしきものを提示してきていましたが、
絶対に!!違う!!
作曲家が、真剣にピアノに取り組んで書いた楽譜ではない……!!!!! 
と確信しました。

えっと、理由は、
「そんなとこにそんな配置で和音積むか?美しくなく、そして弾きにくい」
と感じたことです。

近所の楽器店で全音出版のピアノピースがいろいろ揃っていた事を思い出し、
電話してみる。
「エルガーの愛の挨拶、在庫あるか確認していただけますか」
「少々お待ち下さい〜」

♪保留音 G#-BG#F#ED#EA-A-A〜♪

電子音の「愛の挨拶」を電話口から聞き、「勝った……!!」という気分。
(訳:ともかく「愛の挨拶」を紙で買い求めることは大正解なのだ!)

在庫ありとのこと、買いに行く。
ついでに、耳慣れているけれどなんか弾いたことがなかった!
ショパンのノクターンNo.2 も買いました。

きっかけとなったダンス公演では、当日の判断でこれを弾くのはやめましたが、
譜読みを続けています。

なんと、美しいのでしょう………!!!!
(そして弾きやすい……)

学生の頃は先生方から海外の出版社の楽譜を買うよう指示される事が多く、
それ以来、全音楽譜出版さんの楽譜を買う機会は減っていましたが、
1曲ずつ、気楽に買えて、ちゃんと中身あるの、本当にありがとうございます……
(あのネットの楽譜はなんだったのだ?!?!)

私がこれら2つの曲を弾き、日々驚嘆していることは、

楽器が美しく響くこと、
そのために、本当に細やかに音が選定されているということです。
美を享受するにあたり、ほんの少しでも違和感になりそうなことは、
一切排除されているということです。
演奏する指に怠慢を許すことなく、(いえ、弾きやすいのですが)
必ず美しく響く音へ指が誘われます。
美しい美しい美しい………

ピアノという、純正律の叶わない平均律の楽器、
手指が10本という制限、
その中で、
作曲家が(作曲家たちの積み重ねられた智慧が)、
この楽器の美しいところを引き出そうとし、そして自分の音楽を歌う。

そのことを、楽譜を読みながら、追体験するのでした。
それをまざまざと体感する時、涙も出るのでした。

私は、ピアノ曲が、ピアノ曲らしく歌ってると、感動して泣いちゃう。
メタリカがメタリカを全力でやってくれているのを見ても泣いちゃう。

そのものが、そのものらしくあることは、美しく、感動なのだ……!!

また、作曲家が楽譜に、それを託すことは、
楽器への、楽曲への、未来の演奏家への、愛、としか言いようがありません。

昨日書いたもの、箏が箏らしくあってほしい、の願望とも繋がります。

私は私らしくあれば、きっとそれは良い状態でしょう。
貴方が貴方らしくあれば、きっとそれは良い状態でしょう。

らしく?

この世に生まれてきてから、いっぱい!
自分らしくないもの着させられちゃってる場合がほとんどだ!と思う!!
自分が気に入らない服は捨てていけるといいな。

「低音で重ねすぎると倍音重なりすぎて濁るけど、
 まあなんか手の形が同じのやつ書いておけばいっか」

という楽譜で、悪さをしている音符を適切な箇所に配置すると、
似ていても……全く非なる……
美しい世界が立ち上がってくるように……。

私の命も、そうするっ♪♪

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