肉体という船

音楽へは、
肉体という船に乗って
辿り着くしかない。

「この人とやるのイヤだわ」
「あの人達のために弾こう」
などは双方等しくただの雑念であり、
羅針盤を狂わせ、
音楽から遠ざかってしまう。

思考を止め、
ただ音による悦びを求め、進む。
悦楽こそが、
音楽へ辿り着くための羅針盤なのだ。

快楽を得る為に肉体を使い(演奏)、
快楽を得ていると気づく為にも
肉体を使う。
(呼吸、血流、皮膚感覚の変化など)

快楽という羅針盤を指針に、
肉体という船は突き進む。

音のために使われる私の肉体は、単に、
音の容れ物、
音の一時保管所、
音を通す為の「管」となる。

そして、

私は音楽と成り果てる。

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